5年間、自給自足で田舎暮らしをしていた私が、アフリカ布ブランドでインターンする話。

5年間、自給自足で田舎暮らしをしていた私が、アフリカ布ブランドでインターンする話。

こんにちは!9月限定RAHA KENYAインターンの吉澤真樹です。

夫と南伊豆の古民家で暮らしておりましたが、
いまは単身とびだして修行中。

今回特別に「熱いファン枠」インターンとして
ご一緒させていただいております。

このブログでは、
✔私は何者なのか?
✔RAHA KENYAに出会ったキッカケ
✔RAHA KENYAでなにを学びたいのか?
をお話ししたいと思います。

短い期間ではありますが、その分ぎゅっと詰まった日々にしたいです!
みなさまどうぞ宜しくお願いします!

自己紹介

名前:吉澤 真樹
31歳
出身:埼玉県

好きなもの:堂本剛(20年来ファン!)好きになったらとことん。
苦手なもの:数字、地図、電車の乗り換え

「自分の暮らし」を紐解いていったこれまでの話

大学時代は、国際協力を目指し、
カンボジアに何度も滞在し、NPOでのインターンや学生団体で
活動していました。

「わたしになにができるのだろう」と問い続けながらも、
自分なりの答えを出せぬまま就活に突入。

リクルートスーツで新宿を歩いている時、
突然大きくビルが揺れました。

東日本大震災でした。

その後の原発事故から強い衝撃を受け
「すべての社会問題は、わたしの足元からはじまっているんだ。」
何も知らないでのうのうと暮らしていた自分にショックでした。

「まずは自分の暮らしがどのようにつくられているのか知りたい。」
と、思うようになりました。

震災ボランティアを経て、いわゆる「会社員」をスキップし、
「生み出せる手を持つために働こう」と衣食住にまつわることに
真正面から向き合ってみることに決めました。

滋賀の田舎に住み込み、はじめて畑をしたり、
オーガニックカフェに就職し、
ご縁のある食材をつかった料理で場づくりをしたり、
綿から糸を紡いだり、服の学校に通ったり。

徹底的に「衣食住の生み出される場所」に向き合い、
「こんな風に作られていたのか!」と紐解いていく日々でした。

 

とにかく"手を動かして生きる"古民家での暮らし

んな日々を経て、わたしは5年前に結婚し、
伊豆半島の南端で築90年の古民家に夫とねこと鶏と暮らしていました。

電気水道ガスは契約せず、ソーラーと薪と山水。
囲炉裏は、火を起こすのに苦労するけれど、
これ以上ない最強キッチンで、唯一無二のあたたかさ。

他にも、家電はない、車がない、水洗トイレがない。
ネットもない(携帯は夫婦でガラケー1台のみ)という、
ないないづくしではありましたが、
暮らしのすべてが手に届く範囲内にあるという暮らしは、
不思議な安心感がありました。

いつのまにか手に蓄積したちいさな技術は、
「わたしにもできることがある」という自信をくれたのです。

震災以来、ずっと心の片隅にあった「足元への不安」が
すこしずつやわらいでいくようでした。

囲炉裏でバナナを焼く。アフリカで食べたあの味が忘れられなかった(別物だった)

RAHA KENYAとの出会い

諦めていたことにすら気づかなかった

暮らしもひと段落し、むくむくと旅欲が湧いてきました。
「せっかく、こんな暮らしをしてるんだもの。
自分たちの手で暮らしを作っているひとたちに会いに行きたい」

そこから暮らしを改めて見つめ直したい、そして、

出会って10年という節目にふたりのこれからを考え直したい。
いろんな決意を握りしめて、西アフリカ旅を計画しました。

わたしが、最初にRAHA KENYAを知ったのは、このときでした。

治安などの不安から現地のリアルな声をききたいと
アフリカ在住日本人の方々のTwitterをながめていると、
リエさんのこのツイートが流れてきました。

電流がビリビリ流れるようでした。
痺れて、泣きそうになりました。

なんて等身大で、まっすぐな言葉なんだろう。
同じ目線で、一緒に夢を見れるって、なんて素敵なんだろう。

「こんな言葉を言えるひとに、わたしもなりたかった」

そう呟いた時、いつのまにか「過去形」にして、
諦めていた自分に気づかされました。
「そっか。いまからだって、目指したらいいんだ」
ふたりの熱が飛び火して、心に火が灯りました。


やっと辿り着いたアフリカ

長かった準備期間を経て、無事にアフリカに到着。
3ヶ月間かけて、ブルキナファソ&コートジボワールの
ちいさな村々を24箇所、夫婦で訪ね歩きました。

大きなバックパックを背負ったあやしい日本人旅行者が
突然村に訪ねてきて「あなたたちの暮らしが知りたいから、泊めて欲しい」
と言ってくる不思議な状況にもかかわらず、あたたかく歓迎してもらいました。

電気水道ガスがない、自給自足はあたりまえ。
伊豆での暮らしが「おままごと」に感じるくらい、
すべて自分たちの手で作り上げられている彼らの暮らしは
なんて、たくましく、美しいのだろうと、ただただ感動しました。

あるとき、一人の少年に出会いました。
ブルキナファソのテンコドゴという郊外の町から
少し離れた村に暮らしている大学生でした。

今年の春に、金銭的な理由から大学を退学するらしく、
「日本で働きたいんだ、協力してくれないかな?」と相談されました。
兄弟も多く、家族の状況から大学は厳しいと分かっていても、
この小さな村でこのまま生きる人生で終わりたくない。
という彼の強い意志を感じ、頼ってくれたことが嬉しかったのです。

しかし帰国後、わたしができたのは、
わずかな日本での就労情報と、ビザ申請のアドバイス。
そもそもの渡航費すらない彼にとって、何の役に立たないものでした。

わたしがちゃんとお金を生み出せるような、ビジネスをしていたら!
もしかして、彼と一緒に働けたのかもしれない。
彼が日本に来ることだけが正解じゃないのは分かった上で、
自分の暮らしの外に出ると、想いばかりが先行して
結局なにもできない自分が、とても悔しかったのです。

ひとりだけなら、お金はあんまりなくても生きていけるかもしれない。
でも、その生き方には「誰かと一緒に」という余地がないのかもしれない。
わたしは、隣り合うひとと笑い合うために。
わたしとあなたの「居場所」となるような、ビジネスがしたい。

写真中央右、パーカーの青年

RAHA KENYA的「すこやかなビジネス」を学びたい!

そのとき思い出したのが、RAHA KENYAでした。

「支援」ではなく「同じ目線で共に働く」という姿勢。
わたしとあなたのできることを持ち寄って、
関わっているひとみんなを巻き込んで笑顔にする「すこやかなビジネス」の構造。
自分、という枠から出て、周りの人々と繋がってチームで働くマインド。

そのすべてに、学びたいことが詰まっていました。

手の届く範囲でアナログ生きてきたわたしにとって、
インターンの仕事は超デジタル化、スピード感、新しいことに溢れています。
電気もネットもないこれまでの暮らしのギャップがありすぎて、
こんなにも知らないままよく生きてこれたな!というほど
無知さ未熟さに驚き、落胆することもありますが、
同時にどんどん世界が拡大していくような高揚感もあります。

誰にだってどこかで「はじめて」があったのだから!
わたしにとってそれが今!と鼓舞しています。

(PL講座は、人生初めて畑で大根を引っこ抜いた時のような衝撃でした。)

今さらなんてことはないと信じて、一歩

わたしの1ヶ月インターンのミッションは、
「RAHA KENYAのお客さまと、もっともっと、
一緒に一歩踏み出していけるような関係になりたい!」
そんなコミュニティづくりのイベントを作ることです。

RAHA KENYAの素晴らしいところは、
社員さん一人ひとりに妥協がないところ。
企画立案時にも、細やかな点至るまで
「なぜそう思ったの?」
と細かい意図を聞いた上でのフィードバックは、
いつもまっすぐお客さんのことを思う気持ちが詰まっていて、
(今は手前味噌ながら)じーんとしてまいます。
「学び始めるのに、今さらなんてことはない」と信じて、
ひとつひとつ向き合っていきたいです。

自分自身がRAHA KENYAに励まされ一歩踏み出すことができた
「ファン」当事者であることが最大の強みを生かし、
みなさんの気持ちに、共鳴して突き進みたいと思います!

RAHA KENYAファンの皆様、お会いできる日を楽しみにしています!